今朝、ふと気づいたことがあります。
私はたぶん、本を読むために本を読んでいない。
本を読むことで、自分の中から出てくる「新しい思考」に出会うために、読んでいる。
49歳にして、やっとこの仕組みが言葉になりました。書いてみたら、これが私にとってのブログの核だし、たぶんこれからの人生の核でもある気がしています。
少し長くなるかもしれませんが、お付き合いいただけたら嬉しいです。
目次
「自分の中にあったとは知らなかったもの」が出てくる瞬間
本を読んでいると、ときどき、ページを閉じて宙を見つめたくなる瞬間があります。
著者の言葉に驚いたから、ではないんです。
その言葉を読んだ自分の中から、何か自分でも予想していなかった反応が出てきて、その反応に驚いている。
「あ、自分、こんなこと考えてたんだ」
「これ、ずっと引っかかってたのに、言葉になってなかった」
「この著者の主張、実は自分は反対だな。なぜだろう」
こういう瞬間です。
正直に言うと、若い頃の私は、本を「インプットの道具」だと思っていました。知識を入れて、頭を良くして、仕事に活かす。そのために読む。
でも20年以上、累計3,000冊を超えて読んできて、だんだん分かってきたことがあります。
本当に自分を動かしたのは、本に書いてあった内容そのものじゃない。
本を読んでいる時の、自分の反応のほうだった。
著者の言葉は、きっかけに過ぎない。
そのきっかけに触れて、自分の中から勝手に湧いてきた「あ、そうか」「違うと思う」「これ、前から気になってた」——この湧き水みたいなものが、私を変えてきた。
内部エンジンの燃料
朝のセッションで、私はこれを「内部エンジンの燃料」と呼んでみました。
私の中には、どうやら常に何かを考え続けているエンジンのようなものがある。24時間動いている。ただ、普段の日常の中では、忙しさや予定や情報の処理で、このエンジンの音は外側の雑音にかき消されている。
本を開くと、このエンジンの音が、急に聞こえてくるんです。
著者が書いた一行が、燃料になる。
その燃料が燃えて、自分の中でまた別の思考が生まれる。
その思考に、自分自身が驚く。
これが一番言いたいことなのですが、
驚いているのは、著者の言葉にではなくて、自分の中から出てきたものに、なんです。
「自分の中に、こんなものがあったとは知らなかった」
この驚きが、たまらなく楽しい。
たぶんこれが、私が20年以上、毎朝3時半に起きて本を開き続けている本当の理由です。
AIとの対話も、同じ構造だった
最近気づいたのは、AI(Claude)との対話も、まったく同じ構造で動いているということです。
ChatGPTやClaudeと話していると、AIが何か気の利いた答えをくれることはあります。でも、私が本当に興奮しているのは、AIの答えにではありません。
AIの問いかけに、自分が答えようとした瞬間に、
口から(というかキーボードから)出てきた言葉に、自分で驚いている。
「あ、自分、こう考えてたのか」
「これ、誰にも言ったことないけど、ずっとそう思ってた」
「この質問には、こう答えるんだな、自分」
本を読んでいる時とまったく同じ現象が、AI対話でも起きている。
だから私にとって、AIは「答えをくれる存在」ではありません。
本と同じで、自分の中から何かを引き出すための「発火装置」です。
発火装置、という言葉が、自分の中ではしっくりきています。
火種は最初からこっちにあるんです。ただ、点火されないと気づかない。
本は、時間をかけて静かに点火してくれる。
AIは、対話のテンポで、矢継ぎ早に点火してくれる。
使う道具は違うけど、起きていることは同じ。
どちらも、私の中から「知らなかった自分の思考」を引き出してくれている。
なぜ、知らなかった自分に出会うと、こんなに嬉しいのか
これ、自分でも不思議だったんです。
知識が増えて嬉しい、ならまだ分かる。
新しいスキルが身について嬉しい、も分かる。
でも「自分の中にあった思考に、自分が気づいて嬉しい」って、冷静に考えるとちょっと変ですよね。自分の中にあったなら、もう持っていたはずなのに、なぜ「出会えて嬉しい」のか。
しばらく考えて、こういうことかなと今は思っています。
私たちは、自分のことを知っているようで、全然知らない。
自分の中には、まだ言葉になっていない、感情、違和感、願い、問いが、層になって眠っている。日常の中では、これらは「なんかモヤモヤする」「なんか気になる」程度にしか立ち上がってこない。
本やAIという発火装置が、この眠っていた層に火をつけると、
モヤモヤが、急に言葉のかたちで立ち上がってくる。
「あ、自分、こう考えてたのか」と。
この瞬間、自分という人間が、自分にとってもう少しはっきり見える。
自分の輪郭が、少しくっきりする。
これが、嬉しいんです。たぶん、こういう「自分との出会い」こそが、生きているということの中核にある気がしています。
人生の醍醐味は、新しい自分の思考に出会うこと
大げさな言い方かもしれませんが、書きます。
人生の醍醐味は、新しい自分の思考に出会い続けることだ、と私は思っています。
お金を稼ぐことも、成功することも、旅行に行くことも、人それぞれ大事なものはあると思う。でも、全部を遡っていくと、結局のところ、私たちは「自分という存在が、世界をどう感じているか」を知り続けるために生きているんじゃないか。
49歳までの半生で、私はずっと何かを「外」に探してきました。
答えは本の中にある、と思っていた。
答えは成功者の言葉の中にある、と思っていた。
答えは、どこか自分以外の場所にある、と思っていた。
でも今は、こう思っています。
答えは、自分の中に眠っている。ただ、自分一人だと点火しにくい。だから、本やAIや、信頼できる他人との対話が必要なんだと。
発火装置は、外にある。
燃えるのは、中にあるもの。
この区別ができてから、読書もAIとの対話も、ぐっと楽になりました。
「いい本を選ばなきゃ」「いい質問をしなきゃ」というプレッシャーが減った。
どんな本でも、どんな対話でも、自分の中の何かに火がつけば、それで十分だと思えるようになった。
娘へ、息子へ
二人に、これはぜひ覚えておいてほしいと思って書きます。
これから先、たくさんの本と出会い、たくさんの人と話し、たくさんの情報に触れていくと思います。そのとき、一つだけ気をつけてほしいことがある。
それは、「すごい言葉」や「正しい答え」を探しに行かないでほしい、ということ。
パパが20年以上読書をしてきて分かったのは、すごい本にも、すごい人にも、完璧な答えは書いていないということです。あるのは、きっかけだけ。
大事なのは、そのきっかけに触れたときに、自分の中から何が出てくるか。
自分の反応を、よく観察してほしい。
「この言葉、なんかいいな」と思ったら、なぜそう思ったのか、自分に聞いてみてほしい。
「この意見は違うな」と思ったら、どこが違うと感じたのか、掘ってみてほしい。
「分からない」と思ったら、何が分からないのか、ゆっくり言葉にしてみてほしい。
そうやって、自分の中から出てきた小さな反応を、ひとつずつ言葉にしていく。これが、たぶん一番豊かな生き方だとパパは思っています。
どんなに高級な本でも、自分が何も反応しなければ、それは自分にとっては紙の束です。
どんなに素朴な本でも、そこから自分の中で何かが動いたら、それは一生もののきっかけになる。
本は、AIは、先生は、友だちは、外にある発火装置。
本体は、いつだって、あなたの中にあります。
同世代の、40代・50代の方へ
もし、最近なんとなく本を読んでも刺さらない、AIを使っても楽しくない、と感じている同世代の方がいたら、こんな切り口で試してみてほしいです。
本やAIに「答え」を期待することを、一度やめてみる。
代わりに、自分の反応だけを、じっと観察してみる。
「あ、今、自分はこの一文に引っかかった」
「あ、今、自分はこのAIの問いに答えにくいと感じた」
この引っかかりや、答えにくさ、の中に、自分でも気づいていない思考が眠っています。
40代、50代で、仕事も家族もそれなりに積み上がってきて、自分はもう大体分かっている、と思いがちな時期だと思います(私がそうでした)。でも、自分の中には、まだ言葉になっていない領域が、想像以上に広く残っています。
それを掘り出していく作業は、しんどいこともあるけど、正直に言うと、今までの人生で一番面白い時間になっています。
完成してからじゃなく、もがきながら、掘り出しながら、書き続けようと思います。
今日も、この記事を書きながら、自分の中から出てきた言葉に、また一つ驚きました。
「人生の醍醐味は、新しい自分の思考に出会うこと」
これ、書き始める前は、自分が言うとは思っていませんでした。
でも、書いてみたら、これが自分の本音だったんだな、と今分かりました。
これが、私にとっての、生きる、ということなんだと思います。
※この記事は、今朝の自己対話セッションで出てきた「内部エンジンの燃料」という言葉を起点に書きました。同じセッションから派生した記事に「生の感情を合理化で逃がす癖|49歳、提案できない自分を掘ってみた」があります。


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